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注:日本对中国文化艺术的研究有那么多么重视.我们中国人自己的教授们都在做些什么.难道都为了升官发财吗?; O; K4 s2 Z6 I+ ~. {) w( B
我们应该有更多的人好好坐下来研究我们的文化艺术,而不是肤浅的漫骂.
" D$ ]4 E% P3 g7 d! e1 \$ [以下日文,不过汉字我们可以认识.
1 Z& Y9 e0 `* a) u 5 a, Z) F7 e' |1 v: P) l: z
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日本第16回書学書道史学会大会报告
& D' O' o) G, i; B& O$ \ , F% e, z, Q x( O1 U" d
第16回大会【全発表と要旨】
# U# u8 _3 G1 s$ t% k: q6 S8 m- B4 T& t3 F2 J7 L' t
No.1 | タイトル | 【徐渭書法編年試論】 | 発表者 | 【荒井雄三】 | 明時代の後半、嘉靖・万暦に活躍した紹興の徐渭(一五二一‐一五九三)は、戯曲詩文書画を得意とした奇才の文人として名高い。8 k& b5 d+ C9 H9 {. @
発表者は、そうした徐渭の多面性のうち書画にしぼり総合的な研究をめざしている。
# Z$ P! o7 w' N$ fそのための基礎作業として、すでに図版資料を主として徐渭自用印の網羅的な研究を行った。 | - D+ {2 i0 S: v7 i
No.2 | タイトル | 【明代後半期における北方の「書」の状況‐山東・★★を中心として】 | 発表者 | 【増田知之】 | 明代中期以降における江南地方の文化隆盛は、数多くの先行研究が等しく言及するところである。
' X( a; C; p0 ]- X W( u# wしかしながら、江南地方に限定されることなく、北方をも視野に入れた文化史研究というものは、管見の限りにおいて極めて少ない。
6 u/ _% v& e4 s3 v: J6 q8 ]同様のことは書法史研究においてもいいうる。 | & n7 q1 X Y# b' T) @7 ~
No.3 | タイトル | 【「色彩」に関する文字の考察】 | 発表者 | 【張 莉】 | 色彩感覚は目という視覚をうけもつ器官でとらえられる、感覚中でも非常に重要な部分である。色彩については、古代から代表的な色とされた「五色」(青赤黄白黒)が易学の発展の中で五行に配され、色彩に対する中国独自の観念ができあがった | 5 Y: m6 e# Y( b2 ^. x% ]
No.4 | タイトル | 【日本印人研究‐山田寒山の印学と『印章備正』を中心に】 | 発表者 | 【神野雄二】 | 日本における印学や篆刻学の研究にはどのようなものがあるのだろうか。
- v0 z2 f( ^' K% l% m中国ではこの分野の研究は近年盛んに行われており、刊行物も多い。
1 s1 o; \. ]4 H日本の印章や篆刻は、中国のその影響のもと受容・形成されてきた。
$ D5 O$ C( a: Z0 ~) p1 ]: [. T* g' ]" zただ、日本印学史研究は、まだ体系化されておらず、今後の研究成果が待たれる。 |
2 c+ b7 h2 r! W- x8 J* Y3 x( ?No.5 | タイトル | 【清代を中心とした、刻字と印人】 | 発表者 | 【高木義隆】 | 清代後期に、文人とは別の階層、字を刻することを職業にしていた人々のなかから印人が出てきているようだ。
$ f3 L- a( k6 g$ ]1 c刻字者の評価という観点から歴史を概観する。
* U, o3 a1 x0 m2 g% E G5 J) I後漢の西嶽華山廟碑、北魏の石門銘にも刻者の名がある。 | ( k: a: W T% S7 D' f& r; R" y7 A9 c
No.6 | タイトル | 【石刻書法としての側款】 | 発表者 | 【高口盛幸】 | 私はこのような変化の要因を、刻者と別に他人が刻した跋文〝観款題記〟4 d' F: l& D8 ^! j. B% U
の役割ではないかと考え、単に制作過程を刻すのではなく、その印に関わる多くの情報を刻している点に注目していくことにする |
2 I1 w7 @) }% e3 Y; m4 y% O3 Y9 g1 SNo.7 | タイトル | 【楊守敬と中林梧竹の関連性を求めて】 | 発表者 | 【桜木享子】 | 日本の近代書道は明治十三年(一八八〇)に清国公使館の随員として楊守敬が来日したことによってはじまる。6 a: ^0 ^& y8 R i3 Y3 f
楊守敬は日本滞在中の四年間、朝野の日本人たちと交わり、明治の書道界に多大な影響を与えた。 | + }& I+ W0 F8 c7 ]# F
No.8 | タイトル | 【「草聖」概念の歴史的変容】 | 発表者 | 【松永恵子】 | ある領域において最高の到達点を極めた人が「聖」の名をもって呼ばれることは、書において「書聖」があり、それに隣接する絵画や文学に「画聖」や「詩聖」などがあることからもわかる。( L" n9 C9 y& I6 U' z
「草聖」もそれらの一つであり、「草聖」とは一般に、草書に最も造詣の深い人物を指し、具体的には後漢の張芝や中唐の張旭がそれに当たるとされている。 | ' _2 \$ r- F% D% ~4 E
No.9 | タイトル | 【楚文から秦文への転換‐馬王堆帛書『式法』の初歩的検討】 | 発表者 | 【福田哲之】 | 一九七三年に馬王堆三号漢墓より出土した大量の帛書が、秦漢学術史研究に画期的な進展をもたらしたことは周知の通りである。
. W2 r( c+ D' l9 L& e$ d3 wこれらの馬王堆帛書は、書道史・文字学研究においてもきわめて重要な意義をもち、帛書の多様な字体は、戦国から秦漢にかけての筆記文字の変遷を考察する上で一つの基準を提供すると考えられる。 | ) q- u+ D3 s) ~, y/ e) A
No.10 | タイトル | 【王僧虔「論書」から『法書要録』を見直す】 | 発表者 | 【大野修作】 | 南齊の王僧虔の作とされる書論である「論書」は『法書要録』の中に収められているが、テキストとしてはばらつきがある。3 k$ U# h6 o7 V. f5 w5 T$ R+ U; f
例えば『津逮祕書』本と『書苑菁華』本は基本的に同じであるが、朱長文の『墨池篇』本は異なっている。
% t. q+ K9 y( M内容的に『津逮祕書』本の「論書」は全体で前・中・後の三部の構成になっている | 6 \4 {% h& ^: F$ J7 x
No.11 | タイトル | 【「定家自筆」への視座】 | 発表者 | 【家入博徳】 | 近年、藤原定家の「自筆」と称されてきている書写本において、用字、表記等の研究がさらに進められる一方、その自筆性を問う意見も提示されている% U5 F; i$ _0 ^2 \3 j# ~$ t( j
尊経閣文庫蔵『土左日記』、冷泉家時雨亭文庫蔵『拾遺愚草』は従来、定家自筆本として伝わるものであるが、藤本孝一氏の書誌的研究を中心に、各々の書写本に書写されている大部分の筆跡が、定家側近の右筆によって書写され、後に定家によって校訂された定家校訂本である | ; ?3 ]% }5 |! J2 J# m
No.12 | タイトル | 【佐竹本三十六歌仙絵の詞書の書風について】 | 発表者 | 【笠嶋忠幸】 | 平安時代十二世紀末のこと。法性寺・藤原忠通を筆頭とした新しい書風がそれまでの書風に台頭し、日本書道史の動向を変えるところとなった。" l, H( E: T$ t: q
平安時代末から鎌倉時代初期にかけて、一気に史上を覆ったこの新風は、法性寺流の名の下にいくつかの筆跡群を包括している。" r9 q9 {8 y; W% _+ l3 H
その一つに、後京極良経筆の伝称から集束される筆跡群、後京極流がある |
/ v) k+ n: c2 l& P: x, x7 QNo.13 | タイトル | 【『源氏物語』に見る紫式部の書美について】 | 発表者 | 【杉浦妙子】 | 平安時代十二世紀末のこと。法性寺・藤原忠通を筆頭とした新しい書風がそれまでの書風に台頭し、日本書道史の動向を変えるところとなった。! h% n+ |+ y0 v' I) j7 Y; K" k
平安時代末から鎌倉時代初期にかけて、一気に史上を覆ったこの新風は、法性寺流の名の下にいくつかの筆跡群を包括している。
9 d2 a9 m9 r. c; Iその一つに、後京極良経筆の伝称から集束される筆跡群、後京極流がある |
* v+ Q) ]) W& s! ~No.14 | タイトル | 【書跡における復元模写の方法と課題】 | 発表者 | 【古谷 稔】 | 十七年度に入り、文化財の模写模造に関連の展覧会二件の開催が目に止まった。
' x4 b5 A6 ^7 {+ a東京国立博物館主催の特別展「模写・模造と日本美術‐うつす・まなぶ・つたえる」および共同通信社主催の「高句麗壁画古墳展」がそれである。( b! T D: r1 q1 e8 {
いずれも伝統文化の継承、あるいは世界遺産の永久保存といった課題を掲げ、二十一世紀に生きるわれわれ日本人に多くの問題を投げかけた、貴重な催しであった。 | 5 h3 o# U, Q+ ^% J& |
No.15 | タイトル | 【杜甫の書論‐ことに同時代批評の視点から】 | 発表者 | 【興膳 宏】 | 杜甫(七一二~七七〇)の詩はいま一、四〇〇首余りが伝わるが、その中には書及び書写に関連したものが少なくない。( Z' g0 s: i z3 v& S
それは、杜甫の書に対する関心の大きさを物語るものである。6 X, g/ H, [$ D+ w% k2 ^
「九齢書大字、有作成一嚢」と回顧するように、杜甫自身、年少のころから書写の修練に努めた。 |
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